義母は自分の意思で元の家に戻りました。私達夫婦も、主治医も、もちろん止めましたが、義母の意思は強固でした。また以前のように、義父が振り回されるのではと心配です。
同居は義母のSOSで始まった
2018年10月、義母から私の携帯に着信。「車検代が払えない。運転が怖い。車を廃車するので買物が不便になる。手を貸してほしい。」どうやら同居を望んでいるのがわかりました。
2019年の春、夫の転勤先の地域に中古戸建を購入。夫にとっては親孝行、義母が気に入った物件です。義父名義の元の家は、義父が健在なうちに売却し、義父の老後資金に充てると、家族で話し合って決めました。先に義母を迎えて同居生活がスタート。
義母の不可解言動を記録
義母の体調不良や生活費不足などは解消されたのに、わずか2週間後には、自ら助けを求めた時とは真逆の、意味不明な発言。
- 義母:「負けて帰るのが嫌だから私は我慢している。アンタたちに無理やり同居させられたせいで損ばかり。」(以降も繰り返し言う。そもそも「負けて」って、誰に?何に?)
以後、時系列で記録を続けました。
2019年6/23、朝、夫は胃腸の不調、水分補給と安静で様子見。
- 義母:「すぐに救急病院へ行きなさい」
- 私:「休日在宅医に付き添って行きますね」
- 義母:「この子が会社を休んだらクビにされて私が生活できなくなる!」と激昂
ああ、お義母さん…あなたは息子の体調を気遣わないのですね…。これこそ義母の真意。というか、「貧困妄想」「お金への執着」。続きは略しますが、不穏な展開。
言動に不可解なクセ
日々の義母の言動を記録するうち、不穏なクセがあることに気付きました。
- 勧められたことに同意したのに、同意に反した言動/話を改変して、「自分は被害者」
- 人の善意につけこんで、自分の欲求を通す。欲求通りにならないと、「自分は被害者」
- 人の味方をするフリをして、人を操作する。意のままにならないと、「自分は被害者」
名付けて【ウチの義母話法】。出来事や対象物は様々、実在に架空を混ぜて作話します。
もう一つ、困ったクセが【他者に勝ちたがる】。自分が優位になるためなら平気で嘘をつきます。
こうした言動に、私達は度々振り回されて疲弊。暴言も激しさを増したため、包括支援センターや保健所に相談するに至りました。
健診やA病院でのMRIで「前頭側頭型認知症の疑い」との所見、要介護1の認定、そしてデイサービスへ通所開始。義母にとっては期待と違う事ばかりで辛かったと思いますが、服薬と通所は出来ていました。
抑制ができなくなった
記録を続けたことで可視化できた、義母の言動の傾向「自分の欲求のままに行動する」。程度の差こそあれ、これは誰にでもあることです。
通常なら、他者への配慮や周囲への影響を考えながら、言葉も行動も、適切に抑制が効くものです。それができなくなった=「脱抑制」ということなのでしょう。

模索のイメージ 写真AC
更なる不穏な言動
軽度とはいえ、前頭葉に萎縮があるのは事実。他の部分は無事、軽作業なら出来るし記憶力や計算力は保たれた状態。けれど、せっかくの記憶力を【自分が主役の作話】に使ってしまう。病気だから仕方がないのですが、もはや正誤はどうでもよい様子。客観的な正しさの概念は失われたようです。
検査結果を否定
2020年春。上位のC病院で経過観察のMRI検査。画像が出た瞬間、「やったー!大丈夫だった!」と大声で喜ぶ義母。医師は困惑しつつ「萎縮はあります(以下、医師から説明)。」案の定、医師に対して暴言炸裂。義母の期待通りの結果ではなかったのが不服の様子。
予約した予防接種を当日に拒否
2020年7月上旬。肺炎球菌予防接種の案内の郵便を、義母と私で一緒に開封し確認。
- 義母:「次の病院の日(7/15)に打つ。そしたら病院に行く回数が1回で済む。予約して。」
- 私: 7/15日に予約
7/15朝、義母に問診表の記入をすすめた
- 義母:「友人も、デイサービスの看護師も、副作用があるから打たないほうがいいと言った!」激昂し罵声、嫁(私)に掴み掛かり、3回叩いた。
同日14時、掛かりつけ医院にて
- 義母:「友人も、私の懇意の看護師も、打たないほうがいいと言った!」
- 医師:「看護師さんがそんなこと言ったんですか!?」驚いた声で聞き返した。
- 義母:「デイに通ってさえいればすべて調子がいい。」医師の説得に応じず、接種を拒否。
同日16時、デイサービスに確認
- 介護士:「昨日(7/14)、お義母様が介護士に『嫁に無理やり予約させられた。受けたほうがいいのか?』と聞いてきました。予防接種の重要性を話し【人によっては副反応が出るかもしれない】とは言ったが、一方的に【打たないほうがいい】とは言っていません。」
まさに【ウチの義母話法1】。義母は“医師に勝った”と興奮し満足の様子。しかし、嘘はついた瞬間にバレるもの。医師や介護士は「予防接種を勧める立場」です。
この件で、かかりつけ医・デイの介護士・ケアマネージャーとで「義母の言動パターン」が共有されました。加えて「格下(嫁)を叩く」ことも。
できるだけ音声の記録も残す
この頃から、状況に応じて、音声の記録も残すように。ケアマネさんなど外部の方と会う時は、事前・事後に録音の了解を得ました。もう、記憶とメモだけでは追い付かない。
施設入所を視野に転院
義母が私のバッグを漁っていた。この件で、家族での見守りに限界を感じ、施設入所を検討。かかりつけ医に相談、D病院への紹介を依頼しました。
D病院で再検査と薬の調整
2020年8月、紹介されたD病院で、経過観察のMRI検査と詳細な問診。検査中、家族は面談。義父・夫・私とで話し合った結果の「前頭側頭型認知症に対応した施設入所を希望」を伝え、入所のための診断書作成を依頼。興奮を抑える薬を調整するための通院が始まりました。
介護認定の更新のための訪問調査
2020年9月、最初の認定(2019年10月、要介護1)から1年後の、更新のための訪問調査。面談後、義母の「うまくやった」発言に暗澹たる気持ち。後日届いた結果は「要介護2」。
義父の気持ち
新居に義父の部屋を整えた以降も、義父は週のほとんどを元の家で過ごしていました。「元の家を売却できる状態に片付けてから同居する」とのこと。住所変更は面倒と、住民票も移さず。
時々私達が義父を訪ね、義母の近況を知らせていました。不穏な言動や病院での検査結果、要介護2になったことなどを伝えると「医者に頼るしかない。状態が悪ければ施設へ。」
私達夫婦も薄々気付いていましたが、義父はここ数年の義母の荒れ様に困り果てていた、とのこと。結局、事実上の別居状態。月に3回ほど、元の家から新居に義父が遊びに来る、というパターンに落ち着きました。
結果的には、義父と義母に、適度な距離が出来ることとなり、義両親の仲は好転。
思いがけず、義父は義母と結婚以来、初めての「一人暮らし」。緊張から解放されたようです。義父は元々、一通りの家事ができる人。約2年のマイペースな生活で心身の落ち着きを取り戻し、義母への気遣いまで出来るようになっていました。
義母はデイサービスをやめると宣言
2020年10月、ケアマネさんとの面談日。義母は開口一番「元の家に帰ることにしたので、デイに行くのはやめます。」みんな寝耳に水。病気があっても、本人の意思が明確な場合は止められない。
ケアマネさん「わかりました、やめることにしたんですね。いつでも再開できますよ。」やんわり応対して下さった。(後ほど電話で「長期欠席扱い」とし、結論は後日。)
義父が明かした事情に困惑
面談の直後、義父に連絡すると「そんなふうなら施設に入ってもらう。医者に頼んで。家内がお前達との同居を望んだきっかけは、近所と揉めたこと。今ごろ戻って来ても近所に顔向けできない。家内に生活費を渡さなかったのは散財するから。お前達に負担を掛けてしまった。」
私達は、義母のSOSを信じ、実際に体が弱っていたので、助けるつもりで同居。実態は【息子の金をアテにして、ご近所さんから逃げた。】…私達は義母に利用された?
このタイミングで「帰る」と言い出したのは、義母の定期預金が満期を迎えたこともあるかも。どう使おうと義母の自由だけど…。そのお金、義母自身の介護費用に使って頂きたい。
義母は元の家に戻ると宣言
D病院は家から近く、義母の散歩ルート内。義母が自力で行ける距離ではあるけれど、医師の説明を聞くため家族の同行が必要。普段の通院は私が車で送迎していました。
2021年2月、定期の通院日。義母はどうしても「1人で行く」と言う。
家で待機していた私に、先生から直接着信。
- 先生:「お義母様は『薬のせいで腕や足腰が痛む!薬を止めたら治った!実験台にしたんだろう!?こんなもん飲まされたら殺される!』などと妄想混じりの暴言を怒鳴って、勝手に帰ってしまいました。診断書ですが、本人了解のもとで作成という規定なので、書きたくても書けないです。今後どうされますか?」
- 私:「夫とも相談していたのですが、止められなかった場合は、やむなく元の家に戻して、地域の在宅介護サービスを利用します。お手数かけて申し訳ありませんでした。」
先生も驚くほどの「立ち去り行動」だったようです。でも、先生にも私にも違和感が。立ち去り行動なのだけど、“準備した芝居”を見せられたような印象が。別の問題も潜んでいるのかも。
受け入れ準備を整える
まずは、元の家の有るP市の介護課に問合わせ。転入に関わる諸手続きを確認。その後、包括支援センターに連絡。担当地域のケアプラン事業所を確認、ケアマネさんに状況を説明。福祉バスや宅配弁当などの利用可能なサービスも確認。
義母が戻ると、義父に以前のような負担が掛かると予想されるので、義父の介護認定も相談。
義父に連絡
元の家にいる義父に、状況を連絡。「どうしようもないなら、こちらに戻すのも仕方ない。病院と市の介護の手を借りるよ。この機会に家の不具合を直したい。手配を頼む。」介護リフォームの業者を手配し、建具の修理と不用品の処分。
並行して、近しい親族に状況を報告、元の家の両隣にも挨拶とお詫び。事情を話し、何かあれば私の携帯に連絡を頂けるようお願いしました。
ケアマネさんに報告
これまでの担当ケアマネさんに顛末を報告したところ、以下のようなお話を頂きました。
「大変でしたね。お義母様が以前の住み慣れた家に戻り、状況が変わることで、良い効果があるといいですね。思いがけない展開ですが、【本来あるべき状況】になる、とも言えますね。
お義父様とお義母様が約2年の別居状態だったことは無駄ではなかったと思います。この2年で、お義父様は一人でも暮らせる生活力を着け、お義母様は自分の病気を思い知ったが受け入れられなかった、そのようにお見受けします。片方に病気の有る高齢2人暮らしは心配ですが、P市の包括さんに連絡できて良かったです。」
ケアマネさんの思いやりのある言葉に救われました。
「本来あるべき状況」とは、「本人の望む環境で、残存能力を活かす」ということなのだそう。行動異常を伴う病気は、言動の傾向を周囲で共有して対処。本人自身が困難に直面したとき、機を見て、医師や包括センターに助けを求めるよう誘導する、とのこと。心配だけど、委ねるしかない。
2021年3月、出来るだけの準備を整え、ついに義母は元の家に戻りました。
帰還後の様子
義母が元の家に戻って以降、週に1、2回ほど、夫が義母に電話(私が掛けると嘘しか言わないので)。夫が聞き出したことで気になることがあれば、夫/私から包括センターに相談する流れ。
義母は、福祉バスがスーパーの前に停まると知り、頻繁に利用。自分で買物に行ける楽しみで満足の様子。家事の大半は義父に頼っているが、自分で出来ている部分もあるので様子見。
不安な点は、義母がP市での介護認定の更新を拒否したこと。義母「これで要介護は消えた」まさに認識の歪み。受入時の包括センター/かかりつけ医、ともに義母の問題を理解して頂きました。
義父は以前のように義母に振り回されて疲弊、「なるべく距離をとっている」とのこと。2カ月ほど過ぎた頃、義父自身から「体がキツくなった。自分が入れる施設を探してほしい。」と連絡が。
すぐに義父の要介護認定を申請。後日、要支援2と判定。年金の範囲内で入れる施設も見つかり安堵したのか、義父は「もう少し頑張ってみる」。…もう頑張らないほうがいいのでは?
今は、義父の意思表示を待ちながら、見守っている状態です。
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