要介護認定前の準備・記録と健診とMRI・義母の気持ちが切ない

何か手立てが必要と確信してから要介護認定まで、半年かかりました。出来事を時系列で記録、本人の状態に合わせて進めていった実例として参考になれば幸いです。

際限なく掃除、突然始まった暴言

5月の連休後半にようやく両親を迎え、新生活がスタート。不可解な言動が心配だった義母も、最初のうちは穏やか。これからの住まいを整えようと、掃除に精を出していました。

食事の支度は私。そして義母が家の掃除をしてくれるのは有難い事でした。義母にとっては、料理が出来なくなった代わりの頑張りだと思っていました。しかし、どうも様子がおかしい。

なんだか私に掃除をさせてくれない。義母の顔を立てるべき?と思って、義母好みに掃除を任せていると、四六時中、どこかを掃除。挙句に「ウチの嫁は掃除しない。」と悪態。

ならば、と私が先手を取って掃除を完了させると、半泣きの顔で「することが無くて寂しいから掃除をさせて。」と懇願してくる。それなら感謝して任せよう、と思ったけど…。

庭の手入れも不可解。草取りを頑張るのはいいけれど…必ず庭を1周やらないと気が済まない。雨が止むのを待てない。真昼の炎天下に水も飲まずに庭に出る?熱中症になる!

虫を見つければ素手で退治。(私も小さい虫ならテデトールするけど手袋と薬剤併用。)10cmの大ムカデに素手を伸ばした時はさすがに「危ない!スプレーで!」と止めさせた。

こんな調子なので、義母の手には生傷が絶えず。手袋を勧めても「手袋がもったいない!素手が楽!私はケガするくらい頑張っている!」と怒り、聞く耳を持たない。

そしてついに、新たな異変が。

5月末のある日。夕食18時の出来上がりが10分ほど遅れると、突然、義母が怒鳴りだす。

「支度が遅い、早くしろ!」続けて「不細工!暗い顔をするな!」さらに「息子は私に絶対服従、だからアンタも服従!」(読みやすい表現にしましたが実際はもっと苛烈な言葉)

この日を境に、耳を疑うような、文字にするのが憚られるような暴言が頻発。他にも不可解な行動が続発。なるべく刺激しないよう、ピリピリ緊張する辛い夏を過ごしました。

道のりのイメージ

道のりのイメージ 写真AC

自治体の相談窓口へ

義母の異変に夫も私も困惑するばかり。実家にいた頃の義母の様子を義父に聞いてみると「ここ何年か変なことは時々あった。そのうち治まるかと放っておいた。」とのこと。

そこで夫が提案。市の配布物で見つけた【物忘れ予防の健診】を義母に勧めよう。義母の機嫌が良い時に夫から「予防だし無料だよ」と勧め、「予防ね。無料なら」と本人も同意しました。1回目は終わったばかり、2回目は9月。それまで何とか穏やかでいられたら。

それから、今後のために「義母の様子を記録」することに。私の実父の介護の時、当時のケアマネさんに勧められて父の様子を記録していたことを思い出したのです。

  • 事実の記録はとても重要。ポイントは「日付」と「事実」。自分にとってやり易い方法でいいので、気になる出来事があったら、簡潔に、正確に記録します。

地域包括支援センターで相談

この同居は義母の発したSOSから始まったもの。義母も新しい暮らしに馴染もうと頑張ってきました。とはいえ環境の変化は相当のストレスだったのでしょう。落ち着いてもらえる手立ては無いかと、自治体の相談窓口を検索。そこで利用したのは「地域包括支援センター」。

6月中旬。時間を作り、電話連絡後に地域包括支援センターへ。この1、2年の義母の異変、引越し後の謎掃除、激しい暴言に困っていること。親身に聞いて下さり有難かった。

義母には「物忘れ予防の健診」を受診させる予定で、介護認定も申請希望、と伝えたところ、認定申請の手順を教えて下さり、現時点で利用可能なサービスと施設の資料も貰えました。

そして「最も重要な準備は【かかりつけ医】を決めること」とのこと。転入して間もない私達は近隣の病院を知らなかった。近所の内科医院をいくつか検索し、場所を確認しました。

かかりつけ医を決める

義母は病院が大嫌い。体重34kgだし心配だから病院に行こうと誘うが応じず。そこにタイミング良く特定健診の案内が。「タダで受けられる」と言うと「タダなら行く」(本当は500円)。

7月下旬。近くの内科医院で、義母と2人で特定健診を受診。私の番の診察時、先生に事情を話し、義母のかかりつけ医になって頂けるようお願いし、了承して頂けました。

物忘れ予防の健診

9月中旬。いよいよ「物忘れ予防の健診」当日。義母は体力テストなど診断を嫌がり激昂。「A病院でMRI撮ったら大丈夫だった」と繰り返すばかり。長谷川式テストは高得点。

先生は別室にいた私に「お義母様は前頭側頭型認知症の疑い。体力テストは最低レベル。病識が無さそうで難しいですね。」と仰り、3つの提案を下さいました。

  1. かかりつけ医から、画像診断ができる上位の病院へ紹介してもらうこと。
  2. 要介護認定を申請する。かかりつけ医を受診させ、介護認定のための「医師の意見書」を書いてもらうこと。「今日の健診の結果を報告に行く」という形をとると良い。
  3. 要介護認定を受けたら、手足のリハビリのデイサービスに通う。

要介護認定の申請用紙をもらう

健診の翌日、地域包括支援センターへ。健診で「義母は前頭側頭型認知症の疑い」と言われたことを伝え、要介護認定の申請用紙をもらいました。

その際、書き方や申請の手順を教えてもらうのと併せて、認定後のケアプラン作成についてスタッフさんから説明。認定結果によって、ケアマネージャーを依頼する部署が違う、とのこと。

  • 「要支援」なら「包括支援センター」
  • 「要介護」なら「ケアプラン事業所」→ 自治体窓口で一覧表が貰えます。

かかりつけ医に健診結果を報告、意見書を依頼

包括センターに行った翌日。私1人でかかりつけ医に行き、義母について、報告とお願いしたいことを申し出ました。

  • 健診で「前頭側頭型認知症」の可能性があると言われたこと。
  • 介護認定のための診察と「主治医意見書の作成」の依頼。

有難いことに、了承して頂けました。先生からは「どの病院でもいいのでMRI検査を受けてほしい。本人が了解してくれると良いが。」

脳神経外科でMRI

かかりつけ医に相談した数日後の朝、義母が健診で口走った「A病院でMRI撮ったら大丈夫だった」の言葉を思い出し、実家近くのA病院に問合わせ。すると前回受診は5年前…。

受付の方に「健診で前頭側頭型認知症の可能性ありと言われた」と伝えたら、「今なら午後に予約が取れますよ。」と有難い助言。夫が義母に「大丈夫な証拠のMRIを撮ろう」と説得して検査を予約、急いでA病院へ。

医師からMRI検査結果の説明。前頭葉と側頭葉に萎縮が判明。長谷川式テストは満点。

  • 義母には「脳に萎縮有り。薬とリハビリが必要」(「認知症」という言葉を嫌うため)。義母は「これは私の写真じゃない!」と大荒れ。先生の話を全く聞き入れませんでした。
  • 家族には「前頭側頭型認知症の疑い」。かかりつけ医を通して上位の病院での確定診断を勧められました。何はともあれ、MRI検査ができて良かった。
前頭側頭型認知症は高齢者だけでなく若年層にも起こる
皆さんに知ってほしい。認知症は高齢者だけでなく働き盛りの若年層~中高年にも起こります。特に64歳以前に発症した認知症のことは「若年性認知症」と呼ばれます。ここでは主に【前頭側頭型認知症】について書いていきます。

要介護認定の申請

要介護認定の申請手続きは簡単。自治体窓口に申請用紙を提出するだけです。申請手続き後の事務連絡や、結果の郵送は本人宛に来ます。

「本人が手続きする。または、本人では手続きが難しい時は代行者が行う。」つまり本人が了承していることが前提。実はこれが一番悩ましかった。

義母には「脳が萎縮しているから薬とリハビリが必要。病院から介護認定を勧められている」と伝えました。予想通り、義母は大激怒。「せっかく今まで保険料を払ったんだし。弱った手足に合ったリハビリを安く受けられるよ。」“安く”という言葉に反応し、渋々同意。

9月下旬。ようやく市の介護課へ。要介護認定の申請用紙を提出、受理されました。

かかりつけ医による「意見書のための診察」

10月上旬。健診の結果を持って、かかりつけ医へ。義母は「意見書のための診察」を受診。数多くの質問、診察。先生は優しい方、義母はすっかり先生を信頼した様子。

認定調査員による訪問調査

医師の診察の翌週。いよいよ訪問調査。義母はそつなく応答。調査員「ご本人はしっかりしていて、お元気そうに見えますね。」

本人は思い込みで事実と違う事を言うことがあるため、誤認を防ぐためにも「事実の記録」は重要。家族からの聞き取りの際に、以下の2種の記録を提出しました。

  • 「事実の記録(普段の様子)」
  • 「健診とMRIの結果のコピー」

後ほど、事務所に戻られた調査員さんから着信。電話で健診結果と記録の不明点を確認してくれました。後は約30日後の決定通知を待つだけ。

要介護度の決定

医師の意見書と訪問調査の結果が揃ったら、「コンピューターによる1次判定」「認定審査会による2次審査」を経て、要介護度が決定されます。

要介護度が決定したら、約30日で以下の書類が郵送されてきます。

  • 「要介護・要支援認定等結果通知書」
  • 「介護保険負担割合証」
  • 「介護保険被保険者証」

予定通りなら10月末~11月初めには結果が届くはず。しかし、1カ月半過ぎても届かない…。

認定結果通知書が届かない・再発行を依頼

11月中旬。1カ月と3週が過ぎたのに届かない。不審に思って介護課に電話で確認。なんと10月末には既に発送済みと判明。担当さん「よそのケースでは本人が捨てた事案が…」原因はもう問わず。とにかくケアマネージャーとの契約に必要なので、即時再発行を依頼し、急ぎ介護課の窓口へ。

再発行された介護保険証には「要介護1」の記載。さっそく、義母の実姉が通所している施設のケアマネさんに連絡、面談を予約。仲良しの姉がいる所なら早く馴染めると思っての事でした。

11月下旬。事前に義母にケアマネさんが来ると伝えていたけれど。いざ面談となるとケアマネさんに大暴言。面談中「私が要介護1なんて嘘だ!」要介護度の話はしたことが無いのに何故知ってるの?この発言から、届いた介護認定の結果を義母自身が隠していたと分かりました。

義母の気持ち

夜、急ぎ過ぎたかなと義母に謝ると、意外な答えが。「あんな姉みたいな高齢者の行くところなんて!私はあんなに老いぼれじゃない!だいたい要介護1なんて嘘だ。」

要介護1なのは、体力テストで手足の筋力低下やMRIの検査結果も出てるから。これ以上弱らないようにするためにリハビリは必要なことを説明、なんとか納得してもらいました。

「自分が弱っているなんて知られたくなかった。まして90歳の姉と同じ施設なんて。」ごめんねお義母さん。「自分は姉より元気。仕方なくリハビリするけど、ジムみたいなところがいい。」

12月上旬。最初のケアマネージャーさんにお詫びし、新たに別のケアマネージャーさんと契約。義母の希望通り、マシンジム風の通所施設を見つけてもらいました。

お陰様で元気に通っております。…今のところは。

【追記】その後、疲弊と困惑の約2年。医師も私達も手を尽くしてきましたが、思いもよらない展開に。前頭葉の萎縮に加えて、他の要因もあるのだろうか。

義母は元の家に戻った・ケアマネさんの言葉に救われるも義父が心配
義母は自分の意思で元の家に戻りました。私達夫婦も、主治医も、もちろん止めましたが、義母の意思は強固でした。ケアマネさんの言葉に救われましたが義父が心配です。

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